Day: 11月 1, 2022

見返りを求めない奉仕

カフェテリアで朝食チャリティイベントを主催する朝。一人の女性客が未開封のままの食材をちらっと見、人手も時間も明らかに足りていないのを察して、「手伝いましょうか」と笑顔で申し出てくれました。

パンケーキを作りながら話すうちに、この女性客アニータは認知症の母親を在宅で介護していることが分かりました。この日は朝からヘルパーに来てもらって自分の時間を作るつもりだったけれど、代わりにこのイベントを手伝うことにした、と言いました。

自分のことを脇に置いて手伝ってくれたアニータから、この世で人々に奉仕されたイエスのことを思いました。最後の晩餐では、ご自分の不安をさておき弟子たちの足を洗われました。迫りくる究極の苦しみを予見しつつも、弟子たちの一番の必要に心を留め、大切なことを教えられました。

この時、イエスは人に仕えてもらう権利をいとも簡単に放棄されました(ヨハネ13:4)。場の主役であり、知恵ある先生、受肉した神であるイエスが、ご自分の権利を手放し、ひざまずいて弟子たちの汚れた足を洗い流されたのです。そして、「 主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません」(14節)と言われました。

キリストは、単に善行を勧めたのではありません。大小を問わず、他者のために自分を捨ててこそ意義ある奉仕だと示されたのです。神の力によって、人の話に耳を傾け、受け入れ、養い、イエスを指し示すことができますように。イエスは「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来た」(マルコ10:45)方なのですから。

デイリーブレッド寄稿者Jennifer Benson Schuldt

どうすれば主のように人に仕えられるでしょう。今月は、もっと人に目を向け、イエスの愛と力によってよりよく仕えるにはどうしたらよいかを考えてみました。このトピックは、11月181522日のエッセーでも取り上げています。

今月の祈りの課題

今月の祈りの課題をアップしました。是非、祈りを通して私たちの働きに加わってください。

共により良く

働くシングルマザーのマリーが、礼拝や聖研を欠席することはめったにありません。毎週、5人の子どもとバスで来て、準備や後片付けの手伝いもします。ある日、数人の教会員からの贈り物がある、と牧師に言われました。ある夫婦は、安い家賃で家を貸すと申し出ていました。別の夫婦は、経営するカフェの社会保険付きの仕事を紹介しました。ある青年は、整備済み中古車を将来の整備と合わせて提供しました。マリーは、神と人に尽くし合う共同体で生きる喜びを神に感謝しました。